「訪問看護は必要ないのですか?」―Ⅱ
「訪問看護セレーノ」では、高齢者を主としています。
病院で治療をする急性期ではなく、落ち着いて在宅で生活ができる方が対象です。
しかし、最期を自分の家で迎えたいという、「看取り」も多くあります。
「死」は、必ず早かれ遅かれ迎えることになります。私がみてきた範囲で言いますと、70代から100歳くらいのこの間にほとんど人はこの世を何かしらかの異常が自分の体に起こり正常に戻せず、人間の体は、全力を出し切って生命を維持しようとしますが徐々に生命は、静かに終わりの時を向かえます。病院ではなくいつもの風景の中で死にゆくこと。それをサポートするのが訪問看護師とヘルパーさんとの連携なのです。どちらが欠けてもダメなのです。
では、私が出会った訪問看護の例を挙げてみましょう。よくある例です。
一つ目は、ガン末期の70代後半の一人暮らし男性の例です。
うちの事業所近辺は、一人暮らしの男性の多い町です。
飲食関係の仕事をされていましたが、借金を重ね、仕事場にも家庭にも居場所をなくして,故郷と離れたこの町に住むことになりました。高齢になり働くことができず、生活保護を受けておられました。
4畳半ほどの部屋に布団を敷き、手の届くところにコンロ、ポット、など生活に必要なものがあります。
立ち上がることもできず排泄はおしめになります。
ヘルパーさんが一日に数回入り、近所のドクターも往診に行きます。
男性は、頬の部分にガンができ、頬の皮膚から出血や滲出液が出るような状況で、患部のガーゼ交換、排泄、清拭、時には、点滴が主な仕事内容でした。
ドクターも「入院したほうがええで」と言うし、ヘルパーさんたちも「病院でないとあかんのちゃうか」とかもちろん私も、「病院の方が安心ちがう?」とかほぼみんなで入院を勧めていました。
しかし、男性は「ここがええ」少しぶっきらぼうな言い方ですが、自宅での最期を選ばれました。そこからヘルパーさんとの連携が始まります。朝の食事や排せつ介助が終わるころに訪問看護が入りまたお昼にすぎにまたヘルパーさんが入る。様子を見に訪問看護が入るというそんな繰り返しの日々です。訪問看護は医療保険も使えますので、訪問看護は医療保険に介護は介護保険に振り分け、十分な介護の時間を確保します。ケアマネの力量の見せ所です。訪問看護セレーノは訪問介護ステーションと同じ建物の中にあるので、「朝の○○さんどうやった?ごはんなんか食べはった?おしっこは出てた?」「今日は、機嫌悪いで」とか、そんな日常の様子を訪問看護師がドクターに伝えます。看護師はドクターと一緒に仕事をすることに慣れているので、こう話した方が先生、理解してくださるなとか、ここは手短に伝えないとだめだなという風に医療現場では、バディのような関係にあるのでヘルパーさんよりは何かと伝わりやすいのです。
この男性の最期は、ヘルパーさんが朝、介入したとき発見され、一人の旅立ちでした。
一人で亡くなられたので検視が入りましたが、4畳半の畳の上に布団を敷き、身の回りの物を手元に置き、自分の最期をここで迎えたいという思いは、ささやかですがかなえることができました。
二つ目は、80代のご夫婦二人暮らしの方です。ご主人が呼吸器疾患で、酸素の管を家中2階へも移動できるように長く何メートルにもなっていてつまづくのではと思ったくらいです。
酸素の機械がちゃんと動いているか、呼吸に問題はないか、他全身状態を観察するのが主な仕事です。しかし、それ以外の仕事が、多いのです。奥さんの話し相手です。
奥さんは、活動的な方でさっぱりとした話し方をする方です。
「ホンマに、もう世話するのもええかげにしたいわ」となかなか毒舌でした。そうですね。とも言えず「まあまあ・・。」とあいまいな話をしていましたが、同居家族の話を聞くのも仕事の一つです。
同居家族は、かなりストレスを抱えておられます。老々介護の場合も多く、自分の身体も思うようにならず、また、わずかに残る自由な時間が介護にとられてしまういら立ちもあります。少しでも訪問看護の時間に話を聞くことや日常会話で発散してもらえたらと思います。その方は自宅でお亡くなりになりお通夜にも行かせていただきました。
病院は治療が目的ですが訪問看護を使う在宅生活は生活そのものです。疲弊しがちになる介護の時間に風を通し一日でも長く家族と暮らせる状況を作るのも訪問看護師の役目と思います。
今、その奥さんのケアをせていただいて、時間の経過とご縁を感じます。
看護師が介入するというと点滴など治療目的だけと思う方が多いかと思いますが、日ごろの健康観察や家族の介護相談、ヘルパーさんとドクターとの架け橋役など、病院の看護師のように至急を要する看護ではなくどちらかというと通常は、寄り添うゆっくりした看護です。
人それぞれに人生の背景も違い家族の状況も違います。訪問看護セレーノには、多くの事例がありますが似た事例はありますが同じ事例はありません。それぞれの人生にそれぞれの最期があるように思います。その道のりを共に歩むのが訪問看護師と思っていただければと思います。